『文京彩集』は、普段、館内でしか手に取れないリーフレットだけど、
泣く泣く臨時休館になってしまった、この期間限定で、みんなにお届け…!
b-labが恋しい人も、少しでもb-lab気分を味わえますように。
そして、みんなが、家にいる時間もより楽しく過ごせますように。
臨時休館中の合言葉は、「開館までが楽しくなる!開館がより楽しみになる!」
★『文京彩集』とは・・・?
過去ブログより
文京彩集ついにリリース!
【文京彩集】文京区のステキなおとなたち
BAR Milan 本田建吉さん
(食の楽しさ伝道師)
1973年生まれ。 埼玉県川口市出身
埼玉県立川口青陵高等学校出身
文京区を拠点にイタリアンを展開している会社に18年勤務
現在 イタリアンバール経営
子どもの頃から、飲食の仕事につきたいと思っていたのですか?
全く考えていなかったですね。夢も何もなかったです。
学生時代、本当に何も考えていなかったので、高校を卒業して、父親が経営していた水道屋を手伝っていました。でも自分が入って1ヶ月で倒産してしまい、家族で埼玉から東京に夜逃げのようにして来ました。
借金取りがどこで見張っているかわからないから、とにかく「どこにも行くな!」「電車にも乗るな」と言われていて。毎日、住んでいた駒込駅のあたりで途方にくれていましたね。そのときに、ぷらっと入ったモスバーガーで、店員さんが楽しそうに仕事をしていて、すごく良い雰囲気だったんですね。それで、とりあえず「ここで働いてみよう!」となったのが、飲食の仕事をするきっかけですね。
そこで、人生の恩師でもあり、第二の父でもある社長に出会って、僕の人生は変わりました。
倒産という逆境が人生の転機になったのですね!?
モスバーガーでは5年間働いたのですが、最初3年間はアルバイトで、2年間は社員として働きました。
事情があって、社員になってすぐに「店長をやらせてもらいたい」と社長に直談判して、21歳で店長になりました。怖いもの知らずでしたね。3年間働いてきましたから仕事をこなす自信はありました。でも人を使うとか、教育するとか、そういう店長としての器がなかったので、上手く切り盛りできなくて、人がどんどん辞めていきました。そのとき、「自分が成長しないと、この状況は改善できない」と気付き、本を読み漁って勉強しましたね。時間は少しかかりましたが、頑張って成果を出して、2年後には「いい自分」になれてきたなという実感を持つことができました。
5年間モスバーガーで働いた後に、今のお店を開かれたのですか?
いいえ。社長がモスバーガーをやめて、イタリアンのお店を始めるというので、そこについていきました。
モスバーガーでの5年の間に、社長からいろいろなことを一から教えてもらったので、「この人と一緒にやっていきたい」という気持ちが強く、迷いはなかったですね。
その会社は、みんなでいろいろなメニューを開発したり、いいお店を作るために朝まで議論したり、熱い人たちが集まっていた会社でした。だからすごく楽しかったです!
そこで4店舗のオープンに携わりました
その経験があったので、今のこのお店をオープンさせるときには、何の不安もなかったですね。
経験を積み重ねていく中で、飲食業で生きていくという道を選ばれたのですか?
モスバーガーでアルバイトを始めた19歳のときに、天職だと思いました。
こんなに人をダイレクトに楽しませられて、なおかつ自分も楽しさを感じられる仕事があるのか!と思いました。
やっぱり、楽しさとか、心が躍るとか、そういう感覚は何をやるにも大事ですよね。
夢がなかったり、進路に迷ったりする中高生に対して言葉をかけるとしたら?
僕も中高生のときに、夢もなかったですし、憧れる職業もなかったです。
でも迷っていてもしかたないし、何でもいいので、何かをやってみることですね。
アクションしないと何も始まらないじゃないですか。
まずはアクション!それをやらない限りは、何も先は開けないと思いますね。
あと、自分らしさが大事ですね。「自分は本当はどうしたいのか」と自問自答してみることが大事だと思います。
まわりにどう見られるかではなくて、自分自身が認められる自分でありたいですよね。
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(文責:文京彩集チームえみまま・ゆきちゃん・よね)