大学生になったあたりから、勉強という言葉のイメージが変わったように思います。
中学生や高校生の頃、勉強とは各教科の先生から出される宿題のことでした。定期考査や受験に向けて、嫌でも向き合わなければならないものでした。クラスの友達と問題を出しあったり、ゲームのように競い合ったりしながら、なんとか乗り越えて(時にやり過ごして)いたっけ…。そんな姿が思い返されます。
大学生を経て、社会人になった今。勉強とは、もう少し自由なものだったのだと感じるようになりました。なぜか。それはたぶん、やらされるものでなく、自分からやるものになったから。そして、何をどう学ぶのか、自分で選ぶようになったから。
(先日のマナビ場の様子。学生職員のえりりんが、旅行に行った沖縄の風土や歴史について紹介してくれています)
そうなると、勉強とは案外楽しいものだと思えてくるから不思議です。宿題や学校の授業、試験に向けた勉強が、いつでもなんでも楽しいというわけにはいかないかもしれませんが、とはいえこれも大切なこと。やるべきことに向き合うことで、身に付く力があるでしょう。ただ、どうせb-labで勉強するならば、少しでも「自由で楽しい勉強がある」という感覚に触れてほしい。
木曜日、私たちはそんなことを思いながらマナビ場を続けています。
春休み前に学校で配られた高校の教科書を眺める中学3年生。
その目の前には、大学入学前の課題に取り組む高校3年生。
ヘッドホンをしながらキーボードをたたく高校1年生は、音楽の授業で出された作曲の課題に挑戦中。そして、気になって画面をのぞき込む学生職員のもっちー。彼女はこの時間、大学で研究している「子どもの言語習得」について学んでいました。
真剣に数学に向き合う高校2年生。彼は職員よりもずっと数学が得意なので、わたしたちが教えられる側です。
他にもこの場には、大学生と高校3年生がプレゼンについて一緒に考えていたり、社会人がチラシのデザインについて頭を悩ませていたりと、いくつもの学びの姿がありました。
学び方も、学ぶ内容も、勉強のイメージをできるだけ広く捉えたい。学年が、年齢が違う人が集まっていて、それぞれが「今日はこれをやろう」という勉強をしたらいい。
積極的に五教科以外の勉強に取り組んだらいい。教科の枠にあてはまらない勉強でもいい。ノートや参考書に向き合う以外のやり方があっていい。
中高生が教えられる側でなくてもいい。時には他の中高生に、なんなら大人に教えたっていい。もちろん、教えてもらってもいい。大人からでも、他の中高生や大学生からでも。
いつもいつもそう上手くはいきませんが、b-labのマナビ場が、多様な学びが溢れる場になったらいいなと願ってやみません。
そんなマナビ場の担当職員として、1年間頑張ってくれたれみちゃん。本当におつかれさまでした。なんと前日が誕生日ということで、みんなでお祝い。これ、いい写真ですよね。
今年度のマナビ場は次回が最終回です。3月で学生職員を卒業するもっちーがプレゼンするので、ぜひ聞きに来てください。
(文責:とも)