b-labは、日常の場所です。勉強したり、バスケをしたり、友達と趣味について喋る。
だからこそ、そのような場で、
「俺はこうこうこう言う考え方で、いろいろ悩んでいて、なになにを大切にして生きていきたい」
という話をするのは、ちょっと恥ずかしい。
もしかしたら、「あいつ何カッコつけちゃってんの?」とか、
茶化されたり、時には揶揄されるかもしれない。
そんな場所だからこそ、たまには、「非日常」モードになって、
自分の考えをガチンコで伝え合ったり、泣いたり怒ったりすることも必要かなと、私は時に思うことがあります。
別に、毎日ONE PIECEのキャラみたいなエモいことを言えなんて思いません。
むしろ、毎日そんなことばっかり言ってたら、偽善的でナルシストっぽいな、と思う。
でも、時には、普段言えないことを話す、自己開示の時間を作りたい。
悩みを打ち明けて、みんなでリフレーミングして、悩みや過去を、強みに変えて欲しいな、って思うんです。
そこで、11月25日、カタリ場を主催することになりました。
テーマは「学校生活×カタリ場」。
普段話せない学校の悩みを話してスッキリする場です。
でも、ただ悩みを話すだけじゃ、「大口論愚痴愚痴ブラザーズ」になってしまう。
そこで、実験的に、私自身の人生を話すことにしました。
私の小学校時代の体育嫌いの話、
中学校時代のスクールカーストといじめの話、
高校時代にキャラを作っていた話。
あんまり言いたくない話もしました。
でも、適度に笑いを入れて、重くなりすぎないようにしました。
そのあとは、座談会。
こんな感じのワークシートを用意し、みんなで人生グラフを書いて発表。
「中学時代ずっといじめられて、うまくいかなかったけど、b-labで仲間に出会ってから毎日が楽しい」
という子もいれば、
「高3までずっと直線で、今になった急に100→-100になった。進路のことで真面目になった」と言う子もいて様々。
別の子は、顧問の先生があまり好きではないという話になりました。
それを聞いて、「やはり自己肯定感を高める要素って、人間関係なんだな」と思った私は、
友達との関係性が大事かなと思い
「じゃあ友達の定義って何?」ってみんなに投げかけてみました。
「素の自分でいられる存在」
「喋らなくてもいい存在」
「友達と親友は別物」
「Facebookの”友だち”で、実際に会いにいってもいいという人は皆友達」
「素の自分でいられる存在は友達、クラスメートやチームの人間は「仲間」」
みんな千差万別、十人十色。
それだけ、友達の定義って曖昧であるということなのですね。
気を取り直して、またまた私の話。
大学時代、キャラを作ってピエロをしていたこと、人を信用できない猜疑心から喧嘩になってサークルを辞めたこと、
いろいろ挑戦したけどなかなかしっくりこなかったこと。
そして、b-labに来て自分の考え方をリフレーミングしたこと。
例えば、
・キャラをつくることは、真の自分がいないみたいで一見悪く聞こえるが、臨機応変に対応できるという点で悪くないし、核心となるものさえ変えなければ問題ない。
・一見人生楽しそうに見える人も、実は色々な苦労をしている。
・多様な年齢、多様な環境の人がいると、比較しなくなる。
と言った具合ですね。
最後に、
「学校以外の居場所を見つける」
「人生の目標を見つけ、変に周りに気を使いすぎないでほしい」
というメッセージをとどけて、おしまいにしました。
最後の感想共有は、中高生も、スタッフもみんなやります。
みんな、普段とは違う様子を見せてくれました。
その目は、どことなく、キラキラしていたと思います。
自分も話していて楽しかったです。
このカタリ場の1時間が、中高生の人生をよりポジティブに変えられてたら、いいなと思います。
私は、今回の場を11月25日一回きりにはしないつもりです。
隔週、いや月1回でもいいから、自己開示をしたり、対話をしたりといったイベントをまたやっていきたいなと思います。
いずれは、スタッフがいなくても、
中高生自身がプレゼンターになって、
参加者になって、
みんなでリフレーミングをしてほしいと思うんです。
なんだか素敵じゃありませんか?
b-labに「非日常」を届けられる可能性を感じた、学生職員のばばちゃんでした。
次回は、12月23日(日)です。
仕事をテーマに、別のオトナたちが語ってくれます!ぜひ参加してみてください。
話を聞くだけでもいいよ。
(文責:馬場)
以前とあるドラマでこんなことを言っていた。
『いじめの正体とは、「空気」です。
特に右から左、左から右へと全員で移動するこの国では、
空気と言う魔物の持つ力は強大です。
この敵の前では、法ですら無力かも知れません。
全てを飲みこみ巨大化する恐ろしい怪物。
立ち向かうどころか逃げる事さえ困難な相手です。』
たしかに空気という怪物はおそろしい。
どうやったら立ち向かえるのかな
どうしたら飲み込まれないでいられるのかな
当たり前や普通といった言葉があふれるこの社会で
自分の意見を、手を挙げるのは難しい
でも思うんだ
『みんな違って、みんないい。』
僕はそう思う。
自分と向き合い、自分を知る
だからこそ相手を知れる
相手の痛みを知れる
そうやってリスペクトを忘れず
生きていきたい。
(文責・きくてぃー)